早朝、濃霧で視界不良。車を走らせていると、キツネが何匹か路肩を歩いていました。スピード注意です。

 阿寒横断道路に入ると霧は抜け、朝焼けに染まる雄阿寒岳は素晴らしかった。

 登山口から湖畔沿いを歩き出す。5分もしないうちに登山道から外れてしまいウロウロしてしまいました。非常に紛らわしい分岐があって、無意識に違う方向に行ってしまったようでした。

 登山道に復帰して少し急ぎ足で進みます。午後の飛行機の時間があるので、のんびりしていられません。

 三座目の山なので足取りは軽くありませんが、張り切って登りました。いやぁ先輩強い。私は何故か走ると歯が痛くて調子がイマイチである。虫歯はないはずですが。

 北海道の朝の気温は一桁かと思いきや、20度以上あるだろう。蒸し暑くて汗だらだら。高度が上がってくると風が強くなり気持ちよい。振り返ると阿寒湖が見下ろせました。雌阿寒岳、阿寒富士のピークは雲の中でした。

五合目をすぎると雄阿寒岳の山頂部分が一望できました。火山の名残で釜状地形と外輪山が形成されていました。

 深田久弥の日本百名山には、小屋があるとの記述がありましたが今はその痕跡もありませんでした。

 外輪山のうち、一番高いもっこりとしたピークが雄阿寒岳の山頂です。

 最後だけ少し岩場登りになって山頂到着!感無量です。先輩と握手しました。天気にも恵まれて計画通り北海道の100名山の三座目をゲットできたことを喜びました。先輩は体力的にまだまだ余裕がありそう。ボートの練習もしているらしく流石に強いです。

 山頂では斜里岳や羅臼岳も見えたので、前日に登った山が見えるのは嬉しいです。

 記念写真を撮って下山開始。さささーと駆け下りました。途中、やや大きな鳥が近くの木にとまって鳴いていました。静かに観察していると登ってきた登山ガイドさんが「カケス」だと教えてくれました。その他の動物としては、リスがウロチョロ走り回っていました。ヒグマは幸いにもいませんでした。今となっては会って見たかったな〜

(注意)昭文社地図では雌阿寒岳が百名山となっているが、深田久弥が登った山は雄阿寒岳である。

 次にオンネトー(雌阿寒岳の麓の湖)まで車で移動し、駐車場からは「オンネトー湯の滝」まで走って行きました。

 ここはブラタモリで紹介のあった地で、微生物により酸化マンガンが生成されていて、滝が黒くなっています。世界で唯一の場所らしく是非とも見ておきたかった場所でした。

 復路では定番のバトルを仕掛けましたが、先輩の圧倒的スプリント力に脱帽、勝負になりませんでした。強い!


 野中温泉で汗を流してさっぱり。熊の湯に引き続き、イイ温泉でした〜。

 阿寒湖に戻り、「北海道」の名付け親である松浦武四郎の記念碑の前で写真を撮って、今回の旅は閉幕。

 空港まで移動し(助手席で寝てしまい大変失礼致しました)、羽田便で無事帰還しました。3日間ありがとうございました。

阿寒横断道路から朝焼けの雄阿寒岳を望む

阿寒湖の湖畔から歩き出す

観光地の阿寒湖とは対照的に静かな森の中

ハイマツ帯を歩く

Y先輩撮影 阿寒湖を背に登る

再びハイマツ帯突入 空が近い

さぁ雄阿寒岳のピークが見えた

日本百名山 雄阿寒岳P1370.4

ピース☆

オカマ

石狩山地方面

斜里岳、遥か遠くに羅臼岳が見える

オンネトーから林道ジョギングにて湯の滝へ

黒がマンガンの特徴

<参考 飛行機移動で登山をする場合の注意点>

 飛行機で荷物を運ぶ場合、「荷物受付で預ける場合」と「機内に持ち込む場合」があるのは周知の通りです。

 手荷物(機内持込)の場合、刃物類は当然NGである。私は、ファーストエイドキットの中に十徳を入れていて、ファーストエイドキットを手荷物のカバンに入れていたのでした。

 保安所で、見せしめのようにリュックの中の荷物を全てさらけだされ、ファーストエイドキットのケースの中の消毒、絆創膏、テーピング、十得など全て出されて並べられうという見せしめ(?)。

「コレは機内には持ち込めません!ここで処分するか、預かり荷物の受付に戻って預けるか!?」

と問われ、安いものじゃないので荷物受付まで戻って預けることにしました・・・

「あいつは何を持ってたの?やばくない?」的な周りの目が痛かったです。


というわけで、爪切りや十徳などの刃物っぽいものは全て機内には持ち込めないので、必ず受付で預けましょう。

一方で、モバイルバッテリーは預けられないので、機内に持ち込むカバンに入れましょう。


当然のことのようで、山から降りてきたら意外と忘れがちな分別作業、お忘れずに。

恥ずかしい・・・

(調子に乗ってたらいけません。最後まで気を抜かないこと)

↑ブラタモリの放送がなかったら来る事もなかった場所でした。ありがとうNHK。



松浦武四郎は北海道開拓の礎を築きました。

松浦武四郎にしろ深田久弥にしろ、偉人を意識して山に登っている人はそんなにいないと思う。

 先輩には自分の自己満足の世界に付き合ってくれて感謝である。しかし、Y先輩先輩は飛行機で日本百名山を食い入る様に読んでいたので満更でもないようです。